大阪の陣の発端 国家安康の鐘銘ってどこにある?
2016年の大河ドラマは、堺雅人さん主演の「真田丸」ですね。
すでに物語りは終盤に入り、いよいよ大阪の陣が始まってきます。
この大阪の陣の発起の原因となったのが、梵鐘(お寺の鐘)に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の鐘銘だといわれています。
この鐘は、どこにあるのでしょうか?
豊臣秀吉さんのお気持ちとともに、ご案内します。
梵鐘は方広寺にあります
その原因となった鐘は、現在、京都の豊国神社のとなりにある、方広寺にあります。
普通のお寺の鐘と同じく、大晦日の除夜の鐘をつくときに使われるのと同じくらいの鐘です。
この鐘に、「国家安康」「君臣豊楽」という文字があり、この鐘を造った豊臣秀頼に対して、徳川家康が、めちゃめちゃキレたのが、大阪の陣の発起の原因といわれています。
この文字が、「家康の字を真っ二つに分け、豊臣家をたたえる」という意味なのではないか?ということなのです。
実際に鐘を見てみても、ものすごく小さい字で書かれており、ほかにもたくさんの文字がぎっしり書かれているのです。
こんな小さな文字2箇所だけ取り上げて、「秀頼が馬鹿にしている」と、家康が怒ったことが、いちゃもんをつけたからと言われています。
豊臣家撲滅のための戦の、言い訳に使ったのではないかという説が有力です。
徳川家康の言いがかりなのか?
大阪の陣の時には、息子に後を譲り、徳川家康はもう引退していたのですが、まだまだ実権は握っていたと思われます。
関が原の戦いで天下を取ったとはいえ、まだ豊臣秀吉の息子の秀頼がいたので、安心してはいられなかったのでしょう。
なにか、豊臣家をぶっつぶす、いい言い訳がないか、探していたに違いありません。
だから、言いがかりとバレバレでも、きっかけに利用したのかな、と思います。
実は、本当にその鐘を作るときに、家康が考えているような意味を持たせる隠語や、わかりづらいように小さい文字でこっそり入れた、という説もあります。
その文字を入れることを、秀頼が指示したかどうかわかりませんが、わたしは、意図的に入れたのではないか、という説のほうに、関心があります。
文字も言葉も、発するときにはエネルギーを持ったものになりますよね。
祈りの言葉や、言霊というように、形になったら人の思いがそこに吹き込まれます。
鐘を作るときの思いとして、なんとか徳川家から、豊臣の世に戻したいと、切に願ったのではないでしょうか。
※以下、ちょっとスピリチュアル(オカルト)チックな話になってきます。
そういう話に嫌悪感を感じる方は、ここでページを閉じてください。
読んでみようかなーという方は、最後に運がよくなるお得情報をお教えします。
お墓から動けない豊臣秀吉
神社に祭られている神様はさまざまいらっしゃいます。
神話に出てくる神様、天照大神(アマテラスオオミカミ)大国主命(オオクニヌシノミコト)は、有名ですよね。
ほかにもたくさんの神様がいます。
そして、昔人間だった人も、神様として祭られている神社もありますよね。
菅原道真(すがわらのみちざね)や、徳川家康もそうです(日光東照宮などの主祭神)。
豊臣秀吉も、先ほどの鐘のある方広寺の隣の、豊国神社の主祭神となっています。
豊臣秀吉は、生きているときから、将来神様になるべく準備をしていたといいます。
(どんな準備なのか、よくわかりませんが、まあ、国のトップにはそういう技を伝授する人が、近くにいるのでしょうね。)
ですが、たぶん徳川家などの策略で、食い違いがあって、豊臣秀吉の自分が準備していた神様への道は閉ざされてしまったらしいのです。
徳川家によって、準備をしていた神社(現在の豊国神社)も取り壊され、明治になるまで放置されてしまったのです。
その後、明治天皇が豊国神社を再建したため、現在の豊国神社が建て直されました。
豊臣秀吉は、今は、お墓にいらっしゃいます。
お墓というのは、豊国神社から徒歩20分くらい離れた、豊国廟という場所です。
人間は亡くなると、成仏して仏になります。
でも豊臣秀吉は、神様になるために準備をしていたため、仏にもなれず、ある意味このお墓から動けなくなっているのではないか、と思います。
この話は実は、見えない世界(主に神様や仏様)の存在と話ができる能力を持った、桜井識子さんが、豊臣秀吉と話しをしたことを、本に書いているのです。
その本とは、こちらです。
![]() 運玉 [ 桜井識子 ]
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この本には、以前に識子さんが秀吉さんのお墓にいったときに、「農民から大出世した運のコツ」を聞きにいっています。
そこで運を良く方法を聞いてきて、実際試してみたそうです。
自分が試して、これは効果があると感じたので、この本の中で、秀吉さんが運を高めた方法を紹介しています。
普通の人にも簡単にできることですよ。
ここで詳細を書くと、本の内容のネタバレにもなってしまいますし、ここに書いた以外の、秀吉さんとのたくさんの会話も本に書いてありますので、興味がある方は、本を読んでみてください。
そこでの会話を読むと、人生後期のご乱心に対する気持ちも書いてあって、人間味を感じられて好きになります。
そして、京都に行ったら、豊国神社や方広寺、豊国廟にお参りしてください。
きっと、秀吉さんも喜んでくださいますよ。